トップ 差分 一覧 ソース 検索 ヘルプ RSS ログイン

即身仏 - 僕らの歳時記

僕らの歳時記 > 即身仏

即体仏

日本のミイラ - 即身仏

日本にもミイラがある、いわゆる「即身仏」というものです。

本来日本では、人が死ぬと自然に還るという死生観を持っているのですが、なぜ、日本にミイラ信仰がうまれたのでしようか?日本に現存するミイラは、の大部分は東北地方に存在していて、2つの流れがあります。1つは、岩手県の平泉の中尊寺にある奥州藤原氏のミイラ、そして、もう1つの流れが山形県の出羽三山のひとつ、湯殿山のミイラです。

日本のミイラの歴史は、空海から始まります。この空海の入定伝説は、信長時代のキリスト教宣教師ルイス・フロイスが母国に送った書簡にも書かれています。空海が生きながら土の中に入って、56億7千万年後に弥勒菩薩となり衆生救済に出現する時を待つというものです。空海は、実際は火葬されたようですが、日本の即身仏史上、この空海入定伝説が果たした役割は大きかったようです。

この空海入定伝説が生まれたのが平安時代、末法の時代の西暦1000〜1100年頃、現存はしていませんが「拾遺往生伝」「後拾遺往生伝」「続本朝往生伝」など、数多くの即身仏の記録が残っています。日本のミイラ信仰は、平安時代、末法思想の中で生まれました。

空海が中国に渡った時期は、中国では錬丹術が流行していた時期。中国のミイラは、古く道教に源流があり、中心思想は人間でも仙人になれるという神仙道にあります。神仙になる方法として、呼吸法の「胎息」、男女陰陽和合の法「房中術」、不老不死の仙薬を飲む「服薬」を重視しています。この仙薬の合成法を「錬丹術」といい、仙薬の中でも「丹」つまり水銀化合物と金を中心に考えています。水銀化合物のため、その毒性によって肉体や精神がおかしくなって幻覚や幻聴が現れ、他人が見ると仙人の境地に達していると考えられたのでしようか?

余談ではありますが、「散歩」っていう言葉は、この仙薬の強い毒性を散らすために激しく歩き回ったことから生まれました。この丹薬、硫化水素は抑菌作用があり、遺体の防腐処理に効き目があったようで、長年丹薬を飲み続ければ、死後に肉体を腐敗させる雑菌やバクテリアも殺し、生きているうちから、人体が防腐化されていたと考えられます。

平安時代には中国の即身仏の話が伝わっており、道教、錬丹術については、修験道と結びつき、各地のニフ(丹生、入、仁尾、壬生など)という場所は、水銀鉱床の上に成り立っていて修験道や密教に関係しています。

空海の伝えた真言密教にも古代水銀技術が重要視されています。

日本に現存するミイラ

日本の現存する最古のミイラは、奥州平泉にある藤原清衡のミイラです。奥州平泉の中尊寺には、藤原氏四代のミイラがあり、生前、肥満体であったため、何らかの人工的腐敗処理がなされたと考えられています。しかし、詳細な調査は行われていません。

藤原氏は、戦争で命を失った敵、味方、さらに動物から草木に至るまで等しく供養し、戦争のない平和で平等な社会、現世浄土を願っていました。この藤原氏のミイラは、その藤原氏の願いと、大和や高野山など中央で流行していたミイラ信仰の影響から生まれたと考えられています。

一方、山形県の湯殿山系ミイラは、即身仏信仰が高野山から新潟を経由して湯殿山へ伝播したと考えられます。

湯殿山で最初の即身仏、本明海上人はもともと庄内藩の下級武士でした。湯殿山への信心があつく、40歳の時に剃髪し修行、61歳で入定、即身仏となりました。この頃の庄内藩は、藩政の立て直しのため、農民への年貢米の取立てが厳しくなっていました。取れるところから取ろうとする圧政であったようです。湯殿山の即身仏が下級武士出身から起こったことは、象徴的なことです。本明海上人に続く即身仏も下級武士出身でした。下級武士は、自分の貧しい生活や実見する農民の苦しみから、体制の矛盾を一番よく知ることのできる立場にいた人たちです。社会的には農民を取り締まる立場でありながら、人間的に同情するという中間的立場にいたわけです。

湯殿山系ミイラは、世界の人工ミイラに見られるように死後に遺体に大掛かりな化学的な処理を施してミイラ化したものではないのです。木食行といって、木の実くらいしか口にしないという徹底した食事制限により、生前から肉体の脂肪分を落とし、生きているうちに修行によってミイラになりやすくなったと言われています。最後は生きながら土の中に入って断食死する土中入定の末、3年3か月後にミイラ化して掘り出され、即身仏となったのです。本来、木食行は中国の神仙修行の仙薬を飲む時に行う断穀が、日本化して真言宗などで重視され、それが湯殿山に伝わったものですが、湯殿山の木食行にはもう一つ別の意味があったようです。木食行で食べる木の実や野草が飢饉食だったという事実です。

本明海上人は、次のような言葉を残しています。「我今年仏にならん 末世の諸人 善心の信を頼む心願ハ如何なる事にても成就せしめん」(私は即身仏になろう。末世の人たちが真心から信心すれば、どんな願いでも遂げさせよう)この世の苦悩を一身に背負ったかのような最後であったようです。

湯殿山の即身仏は、空海入定伝説の弥勒信仰の影響を受けています。56億7千万年後に弥勒菩薩が衆生救済に下生してくるというものですが、その頃の庄内藩ではそんなに遠い未来を待てるはずもなかったのです。今すぐ弥勒菩薩が必要でした。そうした民衆の期待に応えて生まれたのが、湯殿山の即身仏であったと考えられるのです。

日本の即身仏は、現世での争いのない平等な世を祈って生まれたものなのです。

参考文献等

  • 「日本のミイラ信仰」内藤正敏 法蔵館
  • 「増補 日本のミイラ仏」松本昭 臨川選書

僕らの歳時記 > 即身仏

最終更新時間:2007年09月14日 11時18分51秒

by ふくいウェブ - 株式会社ふくいコミュニケーションズ - ふくいウェブコミュニケーションズ

ふくいウェブは2002年から福井のいろんな情報をお伝えしている総合サイトです!

[PR]留学会社に資料請求!